清里へ行ったのは今から5〜6年ほど前。
当時訪れた清里がとても印象的で、もう一度訪れてみたい、なんなら住んでみたいと思うようになるのは自然なことだった。
人がいない
山々に囲まれて気持ちがいい
ドライブコースが豊富
などなど、自分にぴったりな地域だったので好きになるのは自然なことだった。
ふと、また行ってみたいなと思ったので訪れてきた。
どこもかしこも夏で最高だった。
行った場所
ルートは、
で回ってきた。
結構、ゆとりのあるルートだったように思う(運転してくれた友人には感謝しかない)。
それぞれの場所で感想を綴るのは長くなってしまいそうなので割愛するが、個人的な目的の星空撮影が天候不順でできなかったのが心残り。
しかし、この2日間を通して生きるスピードがずれていたことに気づいたことが大収穫だった。
それについて書こうと思う。
自分はゆっくり生きていきたかったんだ
自分は結構マイペースなように思う。
時間にルーズとかではない。
人には人のペースがあるし、もちろん自分には自分の守りたいペースがあると思っているタイプだ。
きっと、それぞれの身体には適切なペースがあって、そのペースを崩して色々頑張ってしまうから心身に影響が出るのだと思う。
ただ、自分はそのペースがだいぶ遅い。
どうぶつの森くらいに遅い。
ゆっくーり歩いて、道端の花や光の反射を見つけて「綺麗だな」と思えるくらいのペースが適している。
だから海を見ていたり、森の中にいたりする時のような時間の流れがゆっくりな場所が好きだ。
だが、実際は真逆のペースで生きている。
常に何かしらに追われている日々を送っているからだ。
「何者かにならなければならない」という強迫観念が自分を駆り立てているのだろう。
一定期間はそれでなんとかやっているが、ふとした瞬間に、スイッチが切れたかのように無気力になる(今)。
本来は歩くように生きていきたいのに。
しかし、実際は駆け足どころか軽いランニングのレベルのスピード。
焦っているから、空回りするし、全てがわからなくなって、思考を止めてしまう。
このスピードのギャップが自分の心身、特に心、 を疲弊させる。
このスピードを自分に合った速度にチューニングせねばならないことに気づいたのだ。
もっと紅茶を嗜む時間を持ってもいいし、丁寧な朝食を食べたっていい。
「#丁寧な暮らし」じゃないけど、そういう暮らしをしてもいいんじゃないだろうか?
もっと自分自身をケアする時間を作ってもいいんじゃないだろうか?
周りに流されず、ただただ自分の生活のペースを守って暮らしていた時の方が心身ともに健康だった気がする。
そんなに焦って、自分は何になりたいのだろうか。
理想のあり方は「静かに穏やかに暮らす人」なのに、自ら別の方向へ舵を切っている気がしてならない。
今の自分がやるべきことは、漫画を読むことでもバカ高いキャリアコーチングに焦って申し込むことでもなく、スピードのチューニングであろう。
とにかくセルフケアをせねばならない。
ゆっくり歩いて、内省して、目指す方向に舵を切り直す。
その時間を作っていこうと思う。
焦ってやっても何もいいことはない。
食事でチューニングをしたい
自分は自身の身体に適した料理を食べたいと思っている。
「食事=身体を作るもの」という考え方を採用しているので、どちらかというと食べて幸せというよりは心身を整えるために食べたいと考えているからだ。
だから、有名店やおしゃれなお店(まったくわからない)に足を運びたいともあまり思わないでし、酒がそもそも飲めないから美味い酒を飲みたいもないし、映える料理にもあまり興味はない。
どちらかと言うと、自分で食材を選んで買って、自分で作って、好きな器に乗せて食べる方が好きなのだ。
自分の中で、食べることはセルフケアのひとつになっているように思う。
今回の旅行で泊まったペンションでは、管理人さんが作ってくれた料理を朝晩と味わった。
食事をする中で、これまで自分自身がいかに効率を求めていたかがよくわかった。
「栄養」だけに意識を向けすぎていて、「選ぶ」と「作る」に重きを置いていなかったのである。
自分の家には低温調理器具があるので、それに突っ込んでおけば大抵のものはできてしまう。、
そのため、カット野菜などを買っておけば料理が終わってしまうのである(その楽さを選んで買ったのだけれども)。
しかし、どうやら自分は効率的よりも非効率さに良さを求めているらしい。
食事は食べるだけではない。
選ぶところから洗うところまでが食事だと思う。
その中でも自分は、食材の感触や切る・混ぜるなどの調理、味付けを待つ時間などの工程を味わいたいのだと思う。
調理は瞑想と人間的機能の回復の効果があると思う。
調理中は調理のこと以外何も考えず、切る・混ぜるという行為や匂い、温度などに意識を向ける。
これらへの意識的集中はさながら瞑想のように感じる。
また、調理は感覚をフル活用して行うので現代の生活で失われつつある五感を取り戻すことにも繋がる。
このように料理は自分にとって、瞑想でもあり人間的機能の回復でもあるのだ。
しかし、今は効率化を優先するあまり、これらを蔑ろにしてしまっている。
要は、まっっっっっっったくできていないのである。
理想は毎日丁寧に時間をかけて作りたい。
しかし、毎日行う時間がない。
なので、まずは週に2日でいいので、ゆっくり作る時間を設けようと思う。
週に21回ある食事のうち、数回でいいので丁寧に時間をかけて自分のために食事を作ってみる。
食事を自分のために時間をかけて作ることも、結局は生きるスピードのチューニングにつながると思う。
ほうとう食べた。
まぁ、なにはともあれ今の自分はどう考えてもおかしい!
そのおかしいギャップをひとつひとつ見つけて、潰していきたい。
そうすることで理想の生き方に近づいていけると思っている。
のんびり生きようや。
酒飲めんのにワイナリー行きました。